野生の思考:混沌に対応するためのブリコラージュという概念


野生の思考:混沌に対応するためのブリコラージュという概念

 科学の発展によって、20世紀以降、文明は目覚ましい飛躍を遂げてきました。

21世紀に入るとインターネットの普及により更に加速度的に発展をしていこうとしています。


 インターネットはPC、携帯電話にとどまらず、自動車、家電製品、住宅、衣類、雑貨などあらゆるものと接続されようとしています。また人工知能(AI)についても2030年までには、人間の知能を超えることが予測されています。さらに、人間の脳と人工知能が接続され人間の知能そのものが飛躍的に強化されるのではないかとも言われています。


 人類の発展を支えてきたのが、17世紀以降に確立された「科学的思考」と呼ばれる論理的、数学的な思考方法です。ビジネス、経済の世界においても科学的思考は大規模工業化にともない経営管理手法として取り入れられ洗練されてきました。


 しかしながら、科学の大きな進歩によって自然環境を制御する力を得つつあるにも関わらず、社会的、経済的には不確実性がますます高まり、半年先のことをおおよそ予測することも困難を極めます。精緻な経済理論は、スーパーコンピューターの力を借りても将来の景況、バブルの発生について未だ言い当てることはできていません。また企業経営分野においても経営理論は大きく進歩しましたが、イノベーション、戦略転換、起業などの動態的分野においてはまだ説明のつかない部分が多く、経営者の資質、創造性に答えがまだ隠されたままとなっています。


 さらに、近年のインターネットの普及にともない業界間の障壁、差異が消失したため、多くの業界が多数混戦状態となっていることも不確実性を高める要因となっています。どの業界でもWebチャネルを通じての異業種から新規参入企業、または新興企業に市場が浸食されていることに加え、将来的にはGoogle、Amazon、Facebookなどの巨大IT企業が競合として参入してくることも想定し、戦々恐々としている状況です。



 科学技術の発展によって、人類は次なる未知の領域に踏み入れていっています。しかし、いかに科学技術が高度に洗練されようとも、そこにはまた新たな「混沌」が待ち構えています。


 いままでの論理では説明のつかない新たな混沌に対して、高まる不確実性に対して、急速な変化に対して、私たちは一体どのように対応していけばよいのでしょうか。


 混沌に臆することなく対応するための具体的な論理、または方法を、私たちが本来備えている直観に基づく思考、すなわち「野生の思考」の中に見つけることができます。




科学的思考とは何か?



 まず、近代以降の人類の多くの達成の実現に貢献してきた「科学的思考」とはどのような思考方法なのでしょうか。


 科学的思考は、17世紀から18世紀にかけてのヨーロッパを直接の起源としています。ベーコン、ガリレオ、デカルト、ニュートン、ライプニッツらによって確立されていきました。宗教によって縛られていた合理的な考え方を、「理性」と「感性」を切り離し、宗教的、神秘的な考え方と分断することによって、科学的思考を確立することが可能となったのです。


 真実とは数学的、物理的な計測可能なものであると限定し、感性の世界、つまり見て、触れて、嗅ぎ、味わい、感じるものを「あいまいなもの」であるとして否定することによって近代科学は生まれました。


 科学的思考の方法は、要約すると、

①明証的に真実であると認められるものごとだけを判断基準とし、

②複雑な問題についてはより単純な問題に分解して考察し、

③論理的に妥当な証明の連続という推論過程を経て、

④最終的に全体を検証し統合する、

「要素還元的方法」をとります。


問題を部分に分解して、立証していくことが科学的思考の大きな特徴といえるでしょう。


 そして、単純な証明からはじめて、より複雑な証明のために長い年月をかけて、一つずつ積み上げていくという点において、科学的思考は「伝統的」「歴史的」「連続的」な思考方法ともいえます。科学的思考は、先端的であると同時に400年以上の長い時間軸(さらにたどれば紀元前ギリシャのユークリッド幾何学、さらには古代のバビロニア数学まで遡ることができる)に支えられた思考方法なのです。



<科学的思考の特徴>


◆問題を小部分に分解し、「還元主義的」に詳細を考察


◆直感的な「感性の世界」を切り離し、数学的、物理的証明に特化


◆論理的に妥当な推論を導き出し客観的に理解


◆証明に変更を加えるには反証が必要





野生の思考とは何か?



 野生の思考は、近代科学から分断されてしまった感覚的思考をむしろ重視した思考方法だといえます。


いま現代科学は「あいまいなもの」であるとして切り捨てられてきた人間の感覚やイメージすらも、その範疇に取り込みつつあります。科学技術が大きく飛躍していこうとしている今こそ、野生の思考を再考すべき段階に来ています。


 人類学者であり、構造主義の観点から西洋中心主義を否定したクロード・レヴィ=ストロースはアメリカ先住民族の部族観察から見出した思考形態を、ヨーロッパ由来の科学的思考と対比させ「La pensée sauvage(野生の思考)」と呼びました。


 アメリカ先住民族は文字を持たず、西洋の価値観と全く異なったため、当初多くの民族学者も含めた西洋人は彼らを「単純で粗野な未開人」であると偏った見方をしていました。



北アメリカの南西部に先住していたナヴァホ族(Navaho)1900年代初頭の写真
ナヴァホ族の男。ナヴァホ族は北米南西部に先住するインディアン部族の一つ。エドワード・S・カーティスによって1904年に撮影された。



 しかし実際には、彼らは周囲の環境に対する知識について西洋人の認識、想像を超えたレベルで認知していました。たとえば、代表的なアメリカ先住民族であるナヴァホ族は500種類もの植物種を識別し、それぞれに名称を与えていました。フィリピン南部のスバヌン族の植物語彙は1000語を超え、ハヌノー族は2000語に近いと言われています。現代社会に属する私たちのほとんどは、それらの語が何を指しているか区別すらつかないでしょう。しかし彼らの分類方法は、現在の植物学と比較しても体系的で極めて正確なものだといいます。また、栽培育成方法に関しても原種の保存、交配に関して高い技術を維持していたといいます。


 さらに、盲目的で神秘主義的で非科学的な風習と見られていた多くの慣習についても、科学的思考とは異なる考え方ながら、論理的な構造を持ち、社会的な効率性を備えた集団行動であることが確認されています。


レヴィ=ストロースは主著『親族の基本構造』において、数学者アンドレ・ヴェイユ(数学者集団ブルバキの一人)とともに、オーストラリアの先住民族であるカリエラ族の婚姻規則の中に、抽象代数学の中心的な概念である「群」の変換の構造と同じ構造(この場合はクラインの四元群の構造)が認められることを示しました。


野生の思考も科学的思考とは異なるアプローチではあっても、(無意識的であったとしても)そこに知的な構造があることが認められるのです。



 野生の思考と科学的思考の大きな違いは、「無秩序」に直面した時に表れます。


 「科学的思考」はリスクや失敗には寛容になれます。なぜなら証明の過程においてそれらは通過しなくてはならない事柄だからです。しかし、無秩序だけは許容することができません。科学的思考は明らかな事実から始めて、物事を論証によって正確に秩序立てることが求められる思考法だからです。無秩序に直面した際に、科学的思考は秩序立てる道筋が得られるまで、その対象を分解していくことを選びます。


 しかし、社会的な事柄や、文化に関することなど様々な要素が複雑に絡み合っている場合、また過去に事例のない事柄に直面した際には、問題をより低いレベルの小部分に分解できないこともあります。仮に分解できたとしても、“ある特定の限られた条件下において”という前提が必要となる場合もあるでしょう。そのような特殊な前提の導入は事実を極端に歪めてしまう危険性もあります。


 一方、「野生の思考」は無秩序に直面したとしても、その状況をあるがままに全体として「直観的に把握」します。そして直観的把握に基づいて物事を恣意的に(ときには偶然に従って)分類します。分類することによって理解するより前に、実際に生活圏に取り込んでしまうのです。その上で対象となる物事に恣意的なイメージを持った記号を与えて、その記号を用いて他の物事と組み合わせていきます。様々な組み合わせを試み、変換を繰り返して徐々に消化していくのです。


たとえば、オーストラリアのオセージ族は動物や物事を空/水/地の三つのカテゴリーにわけています。三つのカテゴリーに含まれている下位のカテゴリーである鷲/鷹/熊/亀/太陽/星...などは、具体的な構成要素であると同時に記号としても機能し、方角や気象、部族集団、人体の器官などとも紐づけられています。そして、部族内外で起きる社会的な出来事などの影響も受けながら、物事とイメージの組み合わせは緩やかに変換を繰り返します。



北米大陸の北西沿岸部によくみられるトーテムポール
北アメリカ大陸の北西沿岸部の氏族が、家や墓の前などに建てるトーテムポールには、柱型の形状に様々な動物が彫られている。刻まれた動物は各氏族の出自や伝説を表しており、各氏族の特徴や他氏族との差異や関係性などを示す記号(コード)となっている。記号化された動物は、婚姻やその他の規則的な行動にともなって変換される操作媒体(=変数)の役割も果たしている。先住民族社会の多くでは、文字や数字を持たなかったため、このように特定のイメージを恣意的に与えた記号を用いて複雑な組み合わせや様々な体系、変化する関係性、つまり構造を表現した。トーテムポールは、先住民族社会における各氏族の膨大な情報が詰まったデータベースだといえる。



 科学的思考は物事をとらえるのに、量に応じて決まる「数」や、個別の状況や性質に正確に対応する特定の「概念」によって一義的に説明しようと試みるのに対して、野生の思考は物事に動物や草木などの具体的かつ共通のイメージを持った「記号(コード)」を対象のシンボルとして割り当てることによって、類推的に物事を区別します。そして、物事に割り当てられた記号は、他の記号と可変的に組み合わせを作りだすことができます。時には、鷲や熊などのシンボリックなコードを用いて、儀式を通じて組み合わせの持つ意味を能動的に変換することも可能です(狩りや祭りなどの儀礼は、コードを用いて能動的に部族社会に影響を与える取り組みとなっているケースも多い)。


これらの分類、イメージ、記号、組み合わせに、仮になんら科学的な根拠が見られなかったとしても(たとえば神話。世界の神話の多くが混沌から、まず天と地を分類することから始まるのは象徴的に野生の思考の性質を表している)、差異を明確にし、分類整理され日常的に活用されることによって、物事の間に一定の関係性が生まれていることに、見過ごせない文明の萌芽があるといえます。野生の思考は、たとえ無自覚的であったとしても、記号の組み合わせの変換を繰り返すことによって、「あるもの」と「別のあるもの」を結びつけ、関係性の糸を編み上げることによって無秩序を構造化していくのです。


 「科学的思考」が過去から連なる歴史の積み上げによる「理論的裏付けのための抽象思考(自然科学的秩序の解明)」だとすれば、「野生の思考」は同時的な構造の解釈による「現実的な実践のための具体思考(社会的関係秩序の導入)」だといえるでしょう。



<野生の思考の特徴>


◆詳細な分類によってそれぞれの差異を識別


◆イメージによって無秩序をあるがままに全体として捕捉


◆恣意的なイメージと結びつけられた記号(コード)を用いて他の事象と結合


◆コードを操作媒体にして柔軟に変換を繰り返す





ブリコラージュによる柔らかな変換



 レヴィ=ストロースは「野生の思考」と「科学的思考」の違いをより鮮明にするために、ブリコラージュという概念を用いました。


 「ブリコラージュ」とは、ありあわせの道具材料を間に合わせで用いて、目下必要なものを手づくりすることを指しています。それらの道具材料は、設計図にもとづいて計画的につくられたものではなく、たいていは以前の仕事の残りものであったり、いずれ何かの役に立つかもしれないという理由でとっておいたものや、偶然そこにあったもの、本来の目的とは無関係に集められていたものであるため、ブリコルール(ブリコラージュする人)はそれらの部材の形や素材を検討して、本来の目的や用途とは異なる形で流用して、必要なものをつくります。


 レヴィ=ストロースは、野生の思考をブリコラージュ(器用仕事)、科学的思考をエンジニアの仕事に例えて、次のように比喩的に説明しています。



ブリコルールは多種多様の仕事をやることができる。しかしながらエンジニアとはちがって、仕事の一つ一つについてその計画に即して考案された購入された材料や器具がなければ手を下せぬというようなことはない。彼の使う資材の世界は閉じている。そして「もちあわせ」、すなわちそのときそのとき限られた道具と材料の集合で何とかするというのがゲームの規則である。しかも、もちあわせの道具や材料は雑多でまとまりがない。なぜなら、「もちあわせ」の内容構成は、目下の計画にも、またいかなる特定の計画にも無関係で、偶然の結果できたものだからである。すなわち、いろいろな機会にストックが更新され増加し、また前のものを作ったり壊したりしたときの残りもので維持されているのである。したがってブリコルールの使うものの集合は、ある一つの計画によって定義されるものではない。(定義しうるとすれば、エンジニアの場合のように、少なくとも理論的には、計画の種類と同数の資材集合の存在が前提となるはずである。)ブリコルールの用いる資材集合は、単に資材性[潜在的有用性]のみによって定義される。ブリコルール自身の言い方を借りて言い換えるならば、「まだなにかの役にたつ」という原則によって集められ保存された要素でできている。


(クロード・レヴィ=ストロース 著、大橋保夫 訳、『野生の思考』、みすず書房、1962、1976)



 つまり、エンジニアは全体的な計画としての設計図に即して考案された、機能や用途が一義的に決められた「部品」を用いるのに対して、ブリコルールは「まだなにかの役にたつ」という原則によって集められた「断片」を、そのときどきの状況に応じて臨機応変に用います。


そして出来上がった「全体」に関しても、エンジニアの用いた「部品」は全体と整合し完全に一体化するのに対して、ブリコルールの用いる「断片」の集合としての全体は十分に当初の目的を果たしながらも、寄せ集めであるがゆえに不均衡であったり、なにかしらの不整合が生じることが運命づけられています。つまり、ブリコルールのつくりあげた「全体」は、また次の再構築と変換が予測され、待機している状態にあるといってもよいでしょう。


 「科学的思考≒エンジニアの仕事」は厳密であるがゆえに固定的です。「野生の思考≒ブリコラージュ」は可変的であり、むしろあらかじめ形質転換(transformation)を予定しています。


そして既に述べたとおり、「野生の思考」は混沌を前にしても与えられた状況の中で、その場で答えを出していくことができます。


この「可変性」と「即応性」が示す「野生の思考」の柔軟さは、科学的思考が論理や歴史認識に縛られているのとは対照的です。


 野生の思考のこれらの特徴は、クレイトン・クリステンセンがイノベーターDNAの中核であると述べている「関連づける力」とも一致しています。また、エリック・リースが提唱し、近年ゼネラル・エレクトリックにも採用されたリーン・スタートアップの主要な概念である「ピボット」とも共通点があります。さらに、断片の寄せ集めがゆえの全体との不均衡・不整合は伊丹敬之が組織からイノベーションが生じるための条件として挙げている「ゆらぎ」をもたらす要因としてとらえることもできます。



ブリコラージュによる形質転換サイクル


 ブリコラージュは、まず道具資材に何があるかをすべて調べ上げ、それらと一種の対話を交わし、いま与えられている問題に対してこれらの資材が出しうる可能な回答すべてを「並置」します。その上で、どのような用途として用いることができるかを類推的な「イメージ」によって部分像または全体像を掴みます。そしてそのイメージに促されて「新たに結合」することによって体系(関係性の集合)を構成し、「新たな役割」を獲得します。また、ブリコルールの仕事は決して終わることがありません。仕上がった全体と断片の間にある不整合の改良を図るか、または新たな全体を次の問題解決にあたっての資材として用いるか、あるいは解体し、再構成するというサイクルを繰り返していくのです。


 ブリコラージュによる形質転換の概念は、シュンペーターのイノベーション理論、近年の戦略経営論の主要テーマであるダイナミックケイパビリティ(企業の変化していく能力)の実践にも有用な概念だと私たちは考えています。



 「野生の思考」が「科学的思考」よりも優れた思考方法だということを示そうとしているわけではありません。しかし実際に「野生の思考」はいままでも「科学的思考」と併用されてきて、これからも十分に活用できる思考方法だという認識は必要でしょう。科学的思考が確立するまでの数万年にわたり、人類は野生の思考を用いて、土器、農耕、動物の家畜化、製鉄など文明の基礎となる発明をしてきました。確かに、科学的思考の厳密さは人類の発展にこれからも大きく貢献することでしょう。しかし、そのベースには直観的イメージの豊饒さに根ざした野生の思考があり、私たちはまたいつでもそれを使うことができるということを再度認識する必要があります。論理的な整合性にこだわるあまり身動きがとれないようであれば、野生の思考を用いてブレークスルーを図るべきなのです。


 実のところ、科学ですら、直感的なひらめきやアイディア、過去の学説などをブリコラージュして取捨選択を試行錯誤しながら、発展してきたのです。科学の歴史を紐解けば、現代から見ると荒唐無稽にすら思える学説も過去には採用され、試されていた事例が多数あります。そしてまた、いまは棄却され忘れ去られた異端の学説が、将来、再発見され、もっとも鮮やかに事実を描き出す学説として採用され、主流となることも十分にあり得ます。


 混沌、無秩序、または不確実性が高く不安定かつ流動的な状況において、もしくは新しい未知なるものの導入に際して、「野生の思考≒ブリコラージュ」は私たちに多様な選択肢と柔軟な姿勢、そして具体的行動をもたらしてくれるでしょう。




変わり者が牽引した富士フイルムのイノベーション



 「科学的思考」とあわせて「野生の思考」を用いて、大胆に事業転換を図った成功事例に、富士フイルムホールディングスの事例があげられます。

富士フイルムは、アナログカメラからデジタルカメラの移行に際して、写真フィルム市場の急激な縮小(総需要が10年で10分の1以下)という危機的な状況に見舞われましたが、鮮やかな事業転換によってイノベーションを成功させました。


 写真フィルムの製造には化合物の合成に必要な原材料が100種類以上も含まれており、非常に複雑な製造技術を必要とします。デジタルカメラの普及によって、写真フィルムという製品需要のほとんどが失われてしまいましたが、富士フイルムはフィルム製造の要素技術を全て洗い出し、ブリコラージュにおける「断片」として全ての要素技術を「並置」することから始めました。


 そして、「やれること」「やるべきこと」「やりたいこと」のイメージの共有を図り、組織を大胆に方向転換させて、デジタルイメージング事業、光学デバイス事業、高機能材料事業、グラフィックシステム事業、ドキュメント事業、メディカル・ライフサイエンス事業の6つの事業領域に再編しました。特に新機軸となるメディカル・ライフサイエンス事業には積極的に投資も行い、低分子医薬、バイオ医薬、再生医療の3分野に適応するように要素技術の結合を行い、事業を再構築したのです。


 事業転換にあたって役員の一人は、「変わり者とバカ」という表現を用いて科学的思考の限界を乗り越えられるよう「野生の思考」を後押ししました。社員たちにとって、大きな環境変化は論理的に考えているだけでは容易に踏み出せるものではありませんでした。そこで、経営陣自らが、異分野への事業転換という無理な要求に対して自らが先頭切って「変わり者」になることによって、同調してくれる「バカ1」「バカ2」を徐々に巻き込んでいき事業転換への大きなうねりを生み出していきました。




ホンダのアメリカ市場進出成功についての古典的論争



 1975年、ボストン・コンサルティング・グループ(以下 BCG)は、ホンダの躍進によって急速に市場シェアを失っているアメリカのオートバイ市場における英国製オートバイの先行きを懸念した英国政府の依頼で、調査報告書を提出しました。


 その報告内容は、「ホンダは資本集約的で高度にオートメーション化された製造技術によって国内生産規模を最大化し、規模の経済を実現して低コスト化に成功した。そして小型バイクという新しいカテゴリーを中産階級という新たなバイク顧客層に販売する市場セグメントにおいてポジションを確立し、そこからアメリカ市場を制覇した。」というホンダの科学的な市場分析、精緻なシェア獲得戦略、用意周到な計画を、ホンダの成功要因として説明しました。

 そしてこの報告書は、戦略計画についての模範としてアメリカの多くのビジネススクールにおいて、ケーススタディとして使われるようになりました。


 つまり、ホンダのアメリカ市場での成功は、科学的思考の成果であると評価されたのでした。


 しかし、この説に疑問を抱いたスタンフォード大学講師のリチャード・パスカルは日本へ飛んで、アメリカ市場への参入を実行したマネジャーたちを取材すると、実際のマネジャーたちの話はBCGの説明とは大きく異なっていました。


 「実は、アメリカで売れるかどうかやってみよう、という考え以外に特に戦略があったわけではないのです。」


 1959年、当初ホンダは、本田宗一郎氏が自信を持つ250ccと350ccのオートバイでアメリカ市場に参入しようとしていました(当時のアメリカのオートバイ市場は黒の革ジャンのバイカーが顧客の中心の市場で、日常の生活移動手段としてのオートバイ市場はなかった)。当時の日本は大蔵省の外貨割当規制があり、ホンダがアメリカで投資できる現金はわずか11万ドルでした。

 マネジャーたちはロサンゼルス郊外の安アパートで共同生活をしながら、荒れ果てた地域の倉庫で、オートバイを素手で組み立てました。

 翌年、大型バイクがいくらか売れ出した矢先、彼らを「悲劇が襲った」のです。革ジャンのバイカーたちは、オートバイを長距離、高速で乗るため、ホンダのオートバイは壊れ始めてしまいました。「しかし同時に、物事は思ってもない方向に進んだのです。」


 マネジャーたちはアメリカ市場の需要を考えれば、大型バイクに力を入れることが市場進出にとって必要だと考えていましたが、自分たちがロサンゼルスで営業用に乗っていた50ccのスーパーカブが注目を集めていることには気づいていました。それでも、男性的なバイカー市場に50ccバイクを打ち出すことは、ホンダのイメージを損なう可能性があるため販売を控えていました。「しかし、大型バイクが壊れだしたら、もう選択の余地はありませんでした。50ccを導入することにしたのです。」

 以降、彼らはスーパーカブを大型バイクと同じように“商品”として、並置することを決断したのでした。


 もともと予定になかったスーパーカブの販売を開始後、効果的なキャンペーンも相まってホンダスーパーカブは「生活者のための新しい移動手段」としてのイメージを獲得し、ホンダの売上は急増しました。1966年にはホンダは、輸入バイク市場で63%の市場シェアを獲得しました。

YOU MEET THE NICEST PEOPLE ON A HONDA
大反響となった「YOU MEET THE NICEST PEOPLE ON A HONDA (素晴らしき人々、ホンダに乗る)」キャンペーン



 ホンダはアメリカ市場への進出に成功しましたが、これはBCGの報告のような「科学的思考」の成果ではなく現場での試行錯誤による「野生の思考」の成果といえるでしょう。


 余談ですが、1977年、ホンダの自動車での世界市場進出の可否について、戦略論の権威であるリチャード・P・ルメルトはMBAの最終試験で出題しました。「進出すべき」と答えた学生には落第点がつけられました。なぜなら、科学的視点でみれば市場は飽和状態で、ホンダは自動車に関する経験も販売チャネルも持ち合わせていなかったからです。


 しかし、1985年には彼の妻はホンダ車を乗り回すようになり、2015年度ではホンダは自動車販売台数においては世界第7位。二輪車においては販売台数、売上規模ともに世界首位となっています。




未知なる時代に



 企業経営において、イノベーションを起こしていこうとするのであれば、あらかじめ事前に合理的に説明できることばかりではありません。当然、目指す理想と現状にはギャップがあります。そのギャップを埋めるためには合理的に考えていては無理だと思えるような断絶を解消する必要もあるでしょう。ギャップ解消のためのサイクルを起動させる力が、つまり断絶や矛盾、無秩序を消化する力が「野生の思考」にはあると、私たちは考えています。


特に、0から1を生みだす際には(もしくは事業をゼロベースから再構築する際には)、「野生の思考」の視点は欠かせないものとなるでしょう。


 また今後将来、人工知能の発達によって科学的思考の大部分を人工知能が担うことになるのであれば、その時、人間に必要とされる思考形態として「野生の思考」の重要性はさらに高まっていくことでしょう。





参考文献:


『野生の思考』

LA PENSÉE SAUVAGE

クロード・レヴィ=ストロース 1962


『神話と意味』

MYTH AND MEANING

クロード・レヴィ=ストロース 1978


『方法序説』

DISCOURS DE LA METHODE

ルネ・デカルト 1637


『シンギュラリティは近い』

THE SINGULARITY IS NEAR: When Humans Transcend Biology

レイ・カーツワイル 2005


『戦略サファリ』

STRATEGY SAFARI: A GUIDED TOUR THE WILDS OF STRATEGIC MANAGEMENT

ヘンリー・ミンツバーグ、ブルース・アルストランド、ジョセフ・ランベル 1998