経営人材育成のためのM&A戦略


経営人材の育成のためのM&A戦略

 「ある日突然、事業のトップになることを求められたらどうするか?」

常日頃から、そのような意識で仕事に臨んでいる社員があなたの会社にはどのぐらいいるでしょうか?


 市場環境が急速に変化していくなかで、中小企業に必要な「経営人材」を育成していくための方法論を提示します。




経営者意識を持った人材を育成する



 いま、中小企業にもイノベーションが求められています。かつてのように中小企業は大企業の下請けという時代は遠い過去のものとなりました。市場環境がめまぐるしく変化していくなかで、変化に対応し、変化を機会としてとらえ、さらには自ら変化を引き起こしていく、そのような姿勢が中小企業の経営にも求められています。


 しかしながら、豊富な経営資源に恵まれた大企業とは異なり、中小企業は限られた資源のなかで変化に対応していかなければなりません。特に、中小企業にとって優秀な人材は慢性的に不足しており、経営者意識を持った人材の育成は企業の将来を左右する大きな課題と言えるでしょう。また逆に、優秀な人材がたまたま入社してきたとしても、やりがいを感じさせる仕事が与えられず去ってしまったということも、身に覚えがある方も多いのではないでしょうか。


 いま中小企業に必要とされているのは、いままで経験したことのない不確実な領域に出ていく際に、自ら陣頭指揮をとり先兵となって攻めていくことのできる経営能力を持ったリーダーです。または、現在業界で当たり前になっている競争のルールに穴を開け、自分で競争のルールを創り出していくことのできる人材です。このようなリーダー、人材を本稿における「経営人材」と定義します。


 今回は、「経営人材」をM&Aという経営ツールを活用して育成する方法をご紹介します。




どのようにして学ぶのか



 経営人材を育成していくにあたり、まず人の成長は何によって決まるのでしょうか。図1は成功した管理職への調査によって割り出された、成長を決定する要因の比率です。この比率は「70:20:10の法則」と呼ばれています。この法則によると、人の成長の70%は職務を通じた実務経験からの学び、20%は他者からの学び、10%は読書・研修からの学びによって決まります。


図1 人の成長を決める要因


 実務経験からの学びとは、職務の遂行を通して知識やスキルを得ることを指しています。他者からの学びとは、上司や先輩からの指導を通じて鍛えられることです。読書・研修からの学びは、本を読んだり、研修やセミナーに参加することで学習することです。

 つまり、人は成長するにあたって、直接自ら行い、試行錯誤し、経験し、振り返ることを通じて学ぶことが、一番大きなウェイトを占めているのです。


 経営管理職はどうしても社長のそばで、本部機能といういわば聖域の中でハウス栽培してしまっていることが多いように見受けられます。しかし、ハウス栽培式の育成方法では官僚主義を助長すれども、自ら経験するという点において決定的に欠けてしまっており、本質的な部分での経営人材の資質は磨かれることはありません。


 経営人材を育成するにあたっては、ナンバーツーを育成することとは全く異なる方法によって育成する必要があります。経営人材の育成において、重要になるのが「危機感」と「リスク」に対する意識です。


 わが社の社員には危機意識が足りていない、という中小企業経営者の方の声を多く聞きます。しかしながら、組織という傘によって守られながら、経営者と同じ危機意識を共有するということは、ある意味、矛盾している要求だということを理解しなくてはなりません。経営者の持つ「危機感」は事業をワンパッケージで生産から販売、管理、財務までに「責任」と「リスク」を持つことによってはじめて感じるものだと言っても過言ではないでしょう。つまり、経営人材になるということは、組織の傘に守られる側から、自らが組織を守る傘になるということです。


経営者でいるということは、「危機感」を常に抱えて生きていくということに他なりません。そしてこの危機感は、自ら経験して、体感することによってのみ理解することができる性質のものです。


 経営人材の育成にあたっては、自ら経営をトップとして行う経験を通じて育成していくことが最も効果的だと私たちは考えています。そして育成の舞台としてM&Aという経営ツールは非常に効果的であると実感しています。さらに、経営経験によって培われた本質的な「危機感」こそが新たなイノベーションの種子となるのです。



M&Aによる空白スペース、余剰資源のマネジメント



 近年、日本においてもM&Aという経営手法が徐々に定着してきました。まだM&Aというと大企業のものという見方も多いのが事実ですが、零細企業から飲食店まで、中小企業同士のM&Aも増加傾向にあります。


 例えば店舗型ビジネスのM&Aの場合、店舗出店の際に新たにゼロから店舗をつくるのに比べ、既存の設備、人材を活用して店舗業態を再構築することによって出店の初期投資額を格段に抑えられることと、全くの新設店舗に比べて、出店後の収支の予測がたてやすいことが大きなメリットといえます。東京都大田区の飲食チェーン「二代目叶え家グループ」は近隣の不採算店を中心に買収を行うことで、創業からわずか2年で5店舗をオープンさせて顧客目線のサービスを武器に高い利益率を達成しています。


 自社の既存事業のうち、いま現在の主な収益源となっている主軸事業には、自社のノウハウ、スキル、経営資源などが蓄えられています。その一方で主軸事業が既に事業ライフサイクルにおいて成熟期を迎えており、将来的な成長が大きくは見込まれないとしましょう。その場合、主軸事業の主な業務は取り組み方も定型的で人材の成長余地も限られてしまっています。このような状況において経営人材に育てていくには、既存のノウハウ、スキルを思う存分に発揮できる、「空白スペース」が必要となります。もちろん、この空白スペースは新規事業の立ち上げという形でつくりだすことも可能ですが、ゼロからの新規事業の立ち上げは収支予測も立てづらく、スケジュールも計画通りにはなかなか進みません。


 空白スペースをつくりだすのにあたって、M&Aによって事業そのものを取得する場合には、あらかじめ計画が立てやすいことが大きなメリットといえます。取得する事業の元々の実績、特徴から事前に計画をたてやすい反面、その事業は別オーナーがなにかしらの理由で撤退するわけですから、課題を抱えていることにも留意する必要があります。


 人材を送り込み自社の強みとなるノウハウ、スキルを移転し、取得事業の課題を解決し、さらには取得事業の強み、または課題解決で得られた学習効果を、自社に持ち帰ることが送り込まれた人材のミッションとなります。当然ながら、経営人材は取得事業の会計、財務も含めた事業責任をトータルで受け持つこととなります。


 事業を買収する際には、自社の有望な若手数名と事前に取得事業の潜在価値を十分に検討し、勝算を見込んだ上で、取得事業の経営に入り込んでいきます。取得事業の抱える課題に対しては、あらかじめ仮説と改善策を準備し、1~2か月程度で実態を掌握し取得後2~6ヶ月の期間で改善策を実行していきます。


 事業取得後、しばらくは寝る間も惜しむほど多忙を極めますが、取得事業が軌道に乗ったときには、送り込んだ人材は経営者意識を持った人材「経営人材」として成長を遂げていることでしょう。またその後も、取得事業の代表者または役員として、経営者としての危機感を持ち、事業経営に取り組んでくれることが期待できます。


 新たに獲得する「空白スペース」をM&Aによってつくりだすことと同時に、検討する必要があるのは、「既存事業の縮小・撤退」です。買収によって事業の拡大を目指すのに、なぜ縮小・撤退を同時に検討する必要があるのかと疑問に思われるかもしれませんが、「資源を、生産性が低く成果の乏しい分野から、生産性が高く成果の大きい分野に動かしていく」ことが筋肉質な経営のために重要になるのです。生産性の低い分野から人材を含めた経営資源を引き上げ「余剰資源」をつくりだし、その余剰資源を成長見込みのある「空白スペース」に振り向けていく、この方法を私たちは「M&Aによる空白スペース、余剰資源のマネジメント」と呼んでいます。


図2 M&Aによる空白スペース、余剰資源のマネジメント


 「M&Aによる空白スペース、余剰資源のマネジメント」で重要となるのは、自社の事業と取得見込み事業を継続的に評価することです。自社の事業の売却、新たな事業の取得を検討することによって、自社における事業の価値・ポテンシャル・機会を継続的にチェックし、客観的に評価・意思決定を行う能力が培われることが大きな収穫といえるでしょう。また、経営者が各事業の評価を行い買収であれ売却であれM&Aを実行する際には、トップ自らの戦略的行動として、社員に対して強烈なメッセージが伝わります。このことも社内の危機感醸成にとって効果的です。



経営トップの責任



 いままで述べてきたようにM&Aを活用した経営人材の育成は、育成対象となる人材とともに少人数で取得事業にパラシュート降下し、取得事業の課題を解決していくことで、キャッシュフローも含めて管理することによって、対象人材が経営を自ら経験し、経営者としての自覚と責任を育んでいくことが大きな特徴です。新規事業の立ち上げの経験があり、チームビルディングの実績がある若手が自ら志願して取り組む形が理想でしょう。


 多くの中小企業では、志ある人材が既存事業で実力をつけていった後、その後のキャリアが描ききれず意欲を失い、かつてのエースが普通のベテランとなってしまう、場合によっては会社を去っていくということを繰り返してしまっています。特に創業社長がまだトップにいる場合など、事業部責任者となった以後のキャリアストーリーが描きにくいことなどが、惰性での取り組みにつながり成長を阻害しているように思えます。


 意欲ある人材に対しては、挑戦の機会とキャリアの展望を示していくことが、優秀な人材を確保していくための経営トップの責任といえるのではないでしょうか。そして人材側としても事業経営の怖さとリスクを、言葉だけでなく経験的に学習していく必要があるでしょう。




学習機会をマネジメントする



 経営人材を育成していくにあたって、買収する企業または事業をどのような視点で選択すべきか、ということについても考えておく必要があります。


図3 戦略設計図の例


 この検討の土台となるのが3~8年の長期視点での「戦略設計図」の作成です。戦略設計図は基本的に大枠を示すもので、これに基づいて新しい機能を取捨選択し、新しい企業能力を獲得したり、既存の企業力を調整して、顧客との接点を作り直します。たとえば、東京都文京区のある教育出版社は教師が学生の興味や能力に応じてカスタマイズできる電子書籍の販売を開始する際に、3年という期間でどのようなIT技術に投資を行い、またどのような流通手段を構築すればよいのかを検討し戦略設計図を作成し、徐々に自社に必要な能力を構築していくことで、電子書籍事業に主軸を移すことに成功しました。


 社会変化に対応した事業転換を図っていく際に、収益性と同等に重要になるのが「学習機会をマネジメントする」ことです。事業転換、人材の育成にあたり、短期での採算を合わせつつも学習という視点を持つことで、失敗に対する受容力が高まります。単に収益目的で始めた事業であれば、不採算となった場合には、確かに単なる失敗といえるでしょう。しかし、学習という視点を同時に持っていれば、採算面での失敗はむしろ「失敗の達成」とでもいうべきもので、仮に早期撤退するにせよ自社には「戦略設計図」に基づいた企業力の蓄積と、「経験」が残ります。


 経営人材の育成にあたっては、自社に将来必要な能力、企業力をあらかじめ「戦略設計図」としてまとめ、失敗すらも貴重な経験として取り込んでいく必要があります。